私の映画仕事の原点「猫は生きている」
2024年08月05日(月)
映画の仕事がやりたくて、一年間就職浪人をしました。京都映画センターのバイトで「猫は生きている」のチケットの配券業務を始めました。親子映画運動という言葉もその時に先輩から教わったわけですが、1970年前後、テレビをはじめとする子どもの文化の現状を危惧して、「子どもにこそ、優れた映画作品に接する機会を作ろう」ということで東京や埼玉から始まりました。京都では、宇治久世地域で1974年に日活児童映画「ともだち」という映画上映が最初でした。小学校の体育館を放課後に開放して有料で上映会を開こうというものでした。主催は各市町の連合育友会と宇治久世教組。「ともだち」上映は中学校区での上映でしたが、すべての小学校区での上映に拡大できた作品が翌年の「猫は生きている」でした。作品も上出来で、大人まで引き込むだけの力を持っていました。早乙女勝元さんの原作絵本を人形劇団京芸の人形操作と、当時倒産して再建を目指していた大映労組からスタッフが参加するという精鋭ぞろい。とりわけ、前半のファンタジックな内容と、一転して東京大空襲で逃げ惑う主人公と猫たちが人形ならではの想像力を刺激する出来栄えでした。ラスト、開かない校門前で穴を掘って赤ちゃんを守ろうとした母親の向こうに広がる焼け野原を映し出したときの驚きには平和のメッセージが突き刺さります。現在ある映画センターの半数近くが、この作品の取り組みから誕生しました。親子映画運動が一挙に全国化した画期的な作品です。